《中京の麒麟児・森川如春庵》
- 森川如春庵(本名:勘一郎)は明治20(1887)年7月27日、旧尾張藩士小出秀満の長男(小出秀俊)として生まれ、幼くして母の実家苅安賀の森川家を継ぎました。尾州久田流の西行庵下村実栗のもとで茶の湯を学び、天性の審美眼を磨き上げました。如春庵が16歳の頃に西行庵から手に入れた本阿弥光悦作黒楽茶碗銘「時雨」は、最後まで手放さなかった愛蔵品として知られています。如春庵はその生涯を、茶道と道具の収集に費やしたといわれています。
如春庵は、同時代を代表する大茶人であり三井物産創業者の益田鈍翁(本名:孝)にかわいがられ、鈍翁と親交の深い茶人や財界人との交流で、ユーモアに満ちたエピソードを数多く残しています。鈍翁が始めたとされる狭い茶室で行われた求道的な茶の湯にとは対極の、大きな田舎家での茶会もいち早く取り入れ、移築した田舎家は当時「天下一」と呼ばれたといいます。 《森川邸田舎家》
- 森川邸茶室「田舎家」は、江戸時代初頭の建築と伝わる愛知県葉栗郡葉栗村(現在の愛知県一宮市)の庄屋の住居を、昭和2年から3年頃にかけて如春庵が所有する名古屋の別邸(愛知県名古屋市千種区菊坂町)に移築して茶室として改修したもので、庭作りや門構えなどの整備に時間をかけた渾身の田舎家であったと言われています。
- 当時茶人の間では、古い田舎家を買い取って好みの地へ移築し、田舎家の風趣を持った茶席または別荘を所有することが流行していました。如春庵も自著『田舎家の茶』において、田舎家における茶の良さを述べています。如春庵が手がけたこの田舎家は、益田鈍翁や高橋箒庵など、当時の高名な数寄者たちからも高い評価を受けており、近代日本文化史の上でも貴重な茶室として、解体した部材を名古屋市教育委員会で保管しています。
《記念冊子制作の経緯》
- 私たちは年に2回、日本の伝統文化でもある「茶の湯」を知っていただく事業を開催しています。今年7月に名古屋市博物館で開催した「森川邸田舎家再現茶会」(通称:千人茶会)では、2日間で延べ900名近い方にご参加いただき、大変盛況に終わることができました。1枚1,000円の茶券を購入していただき、売上額の半分を名古屋市教育基金へ田舎家再現寄付金として納付しています。法人理事、正会員、賛助会員が協力して定期的に茶会を開催し、2年間で約800万円の寄付金を納付致しました。
しかし、如春庵のことも、私たちのこともまだ認知されていないと感じています。如春庵のコレクションは、日本を代表する美術館や博物館に所蔵されていますが、実物を見る機会は滅多にありません。如春庵について触れる機会が圧倒的に不足しています。森川如春庵生誕130周年記念冊子を制作することで、如春庵や田舎家のことついて少しでも皆様に知っていただき、「森川邸田舎家」再現へ向けた礎にしたいと考えています。
私たちの活動にご支援していただける方とひとりでも多く出会うため、伝統文化のともしびを灯す市民活動の第一歩として、記念冊子を制作致します。 《私たちの活動が中日新聞で紹介されました》
《ご支援よろしくお願い致します》
- 総額7,000万円と試算される森川邸田舎家の再建費用を市民の皆様の寄付で集め始めて2年半が経過致しました。この間に皆様から頂いた寄付金は800万円近くになり、現在は名古屋市教育基金に預けています。再建計画を推進するためにも、一人でも多くの方に森川如春庵について知っていただくことが必要だと思い、生誕130周年という節目の今年、記念冊子を制作することを決めました。
今回のプロジェクトを皆様方のご支援を頂戴して成功させたいと思います。完成した冊子は皆様に森川如春庵ならびに私たちの活動を紹介するためのツールとして活用していきます。
名古屋市博物館日本庭園内に、江戸時代後期の建物が姿を現したら素敵だと思いませんか?和の伝統文化継承の場として、また皆様の憩いの場としての「森川邸田舎家」再建のため。第一歩を皆様と一緒に歩んでいきたいと思います。
ご支援よろしくお願い致します。
一般社団法人あいち伝統文化推進の会
代表理事 森川信江
理事 尾州久田流家元 下村瑞晃
理事 表千家同門会愛知支部 野口裕記
理事 茶道裏千家淡交会愛知県支部 庄司宗文
理事 武者小路千家名宣会 伊藤妙宣
理事 事務局 三宅ゆかり