日本の文化を味わうもの。
- 日本でいつ頃から酒がつくられていたのか。その起源は正確にはわかっていません。しかし、稲作のはじまった弥生時代には、米から酒がつくられていたと言われています。1,000年以上前には、現代とほぼ変わらない製法で様々な種類の酒が醸造されていたそうです。
奈良時代には、造酒司(さけのつかさ)という役所が設けられ、朝廷のために酒がつくられるようになりました。また、各地方ごとに、その民族の中で伝承された酒がありました。その中には、世界に先駆ける、高度な技術も生まれていました。
暮らしとともに、四季とともに。
- 日本人の文化、精神のそばに、日本酒はありました。飲む人の意識を高揚させる酒は神秘的な飲み物とされ、深く神事と結びついていました。例えば、神酒(みき)として神々に捧げられ、祭事や、ハレの日の祝いには欠かせないものでした。また、桜を見ながら、月を見ながら、雪を見ながら、四季の移ろいを日本酒とともに楽しみ、その美しさを深く味わってきました。
長い歴史の中で、酒造りの智慧と技術は磨き上げられ、混じり合い、豊かに発展してきました。米という一つの材料から、時に甘く、時に辛く、ふくよかで、清冽で、熱く、冷たく、実に多様な味わいを生み出すもの。麹菌と日本の風土が醸した、日本を象徴する美味。それが日本酒です。
世界的なワインのコンクール、Concours Mondial de Bruxelles(CMB)。
- 「ブリュッセル国際コンクール(CMB)」は、 ベルギー、ブリュッセルに拠点を置く、世界最大規模のワインコンクールです。55カ国から1万本以上のワインが出品され、世界中のありとあらゆる種類、価格帯のワインを40カ国、350名の審査員が評価します。
コンクールの中で賞を受けた酒は、次回開催までの一年、様々な市場へプロモーションが行われます。SNS等でも広く発信され、受賞酒には、世界の市場への販売経路が切り開かれることとなります。
CMBが25周年を迎える2018年、新たな部門が誕生します。「SAKE selection」。世界から注目され、評価を高め、和食とともに世界に広がっている日本酒に焦点をあてたコンクールです。日本酒部門の新設それ自体が、世界での日本酒の評価の高まりを証明しています。
神宿る地で、日本の銘酒に世界への架け橋を。
- 第一回の開催地は、三重県。神事と深く結びついていた日本酒のコンクールを、日本の最高神・天照大神がおわす伊勢神宮がある地で開催します。また、海産物に恵まれ、世界に轟く畜産もあり、その豊かな食材は、日本酒と味わいを深めあうことでしょう。
「SAKE selection」では、世界中の専門家から選ればれた35名の審査員が出品酒を審査します。受賞酒は、CMBが世界中で主催するイベントを通じてアピールされ、審査員ひとりひとりも、その魅力を伝える伝道師となります。蔵元が、技に素材にこだわり抜いて醸した銘酒が、世界に躍り出る大きな契機となります。
10/11~13 SAKE selection開催!
- 10/11(木)~13(土)に、CMBにおける日本酒部門「SAKE selection」が三重県鳥羽市にて開催されました。7部門(純米大吟醸・純米吟醸・純米酒・吟醸酒(大吟醸含む)・本醸造酒・スパークリング日本酒・熟成古酒)に全国277の蔵元、計617銘柄のエントリーが集まり、世界各国の審査員35名が、ブラインドテイスティングで公正・一貫性のある審査を実施しました。
表彰式は11/21(水)に駐日ベルギー大使館にて執り行なわれます。
今後、受賞酒のPRに取り組んでいきますのでぜひご注目ください。 日本人にも、日本酒の魅力を伝えたい。
- 「SAKE selection」の開催は、海外へのアピールをねらうだけのものではありません。世界で高く評価されている反面、日本国内では、年々日本酒の消費量は減っています。国内出荷量は落ち込み、日本酒を造る蔵元も減少しています。日本酒の生まれた国で、日本酒が飲まれなくなっているという現状。
もっと多くの人に、日本の粋とも言える、日本酒の魅力を知ってほしい。その味わいの豊かさ、銘酒と呼ばれる酒のうまみ、料理との相性を、再発見してほしい。その想いから、地元三重の窯元に協力を仰ぎ、伝統工芸の技法による酒器を造ります。
地元三重の酒器で、日本酒を愉しんでほしい。
- 協力いただいた窯元は、東の魯山人・西の半泥子と称された川喜田半泥子(かわきた はんでいし 1878年〜1963年)の心と窯を受け継ぐ、半泥子廣永窯(はんでいしひろなががま)。
三代続く四日市萬古焼(ばんこやき)の窯元で、天皇家、宮家や伊勢神宮にも器を献上、奉納した醉月陶苑(すいげつとうえん)。
地元三重を代表する二つの窯元に、特別な酒器をご用意いただきました。酒器は、お酒を飲む時間を華やかにします。ぜひ、その美しい逸品で、日本酒を愉しんでください。
魯山人と並び称された、川喜田半泥子(かわきた はんでいし)。
- 川喜田半泥子は、明治11年、三重県の豪商・川喜田家の長男として生まれました。銀行の頭取、地方議員などを務め、陶芸は50歳を過ぎてから本格的に取り組みました。
半泥子は桃山時代の陶器に高い芸術性と精神性を認め、本阿弥光悦を賞で、尾形乾山に心を惹かれました。自ら桃山時代の陶器の再現を試み、陶芸家としての名声や名誉などにも見向きもせずにひたすら自分自身が納得のゆくものを追い求めました。
素人だからこそ良いものが作れるとの信念で、割れても欠けても、何事にもとらわれず、自由に奔放にアマチュアを貫きました。
半泥子の心を継ぎ、土とろくろの味わいを追求する。
- 半泥子は、当初、自邸の千歳山に窯を築き、若き陶工たちと交わって研究を重ねました。その後、津市郊外の廣永に窯を移し、「廣永陶苑」を設立し、愛弟子らとともに作陶に励みました。
その窯は今も残り、「半泥子廣永窯」として、半泥子の心を継ぐ陶器を生み出し続けています。
受け継がれる、自在自楽の心。
- 半泥子の愛弟子として、ともに作陶に励んだ坪島圡平(つぼしま どへい 1929年〜2013年)。半泥子の没後も廣永窯の火を守り続け、半泥子の自由な精神を作陶の理念として、新しい境地を切り開きました。さらにその後を、四人の陶芸家が受け継いでいます。自由に、楽しみながら、切磋琢磨を重ね、ひとつひとつを手づくりしています。
創始者生誕300周年。歴史ある伝統工芸、萬古焼。
- 萬古焼の発祥は江戸時代の中期に遡ります。桑名の陶器問屋、沼波弄山(ぬなみ ろうざん)が、茶趣味が高じて造りはじめ、作品が永く残るようにと「萬古」「萬古不易(ばんこふえき)」の印を押したことがはじまりと言われています。「萬古不易」とは、永久に変わらないことを意味します。
現在では、三重県四日市市の地場産業として、経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されています。耐熱性が高い土鍋や紫泥の陶土を用いた急須がよく知られています。釉薬を使わず焼きしめられた急須は、湯から雑味を取り除き、お茶が美味しく出ると言われてきました。また、使えば使うほどに光沢を増し、手になじむようになります。
守るべき伝統と、斬新な技法。不変と変化。
- 四日市で三代続く、醉月陶苑。初代は、郵便局長を退官後、木型を使った萬古焼を製作。趣味の俳句の号「醉月」を急須に記し、それが代々継がれるようになりました。
現代の三代目醉月氏は、「萬古不易」の300年の伝統を守りながら、三代続く窯であるからこそ、萬古焼に新しい価値を与えようと、新しい技術、新しいデザインを常に追求し続けています。その中で見出したのが、まるで銀箔を貼り付けたかのような輝きを生み出す技法でした。
萬古焼に現れた未知なる輝き。
- かつて醉月氏が、国内の主要な公募展に作品を出す中で、審査員から言われた言葉があります。
「紫泥を使った萬古焼では公募展に通らない。鉄の塊のようだ」。
しかし、代々続く萬古焼の陶芸師として、紫泥にこだわりたかった醉月氏は、試行錯誤をくり返し、割れた陶器の断面に色の変化があることに注目しました。表層を削れば、風合いが変わるかもしれない。そうして、細かな砂をぶつけて表面を削るサンドブラストの技法にたどり着きました。表面がマット状になり、柔らかな印象に。さらに削った部分とのコントラストによって焼いたままの部分が輝くように見え、大変に美しい模様になりました。
他の陶器には類を見ない、紫泥の萬古焼だからこそ映える、かつてないデザイン。伝統が新しい発想によって、今までにない価値を持った瞬間でした。新しい技術への挑戦は、今もなお続いています。
製作者:清水醉月(しみず すいげつ)
- 作陶に情熱を傾け、様々な挑戦をくり返す陶芸家。萬古焼の国内、海外への普及や、子どもたちや若い世代が萬古焼に触れる機会を生み出すなど、精力的に活動しています。
【陶歴】
昭和19年 四日市に生まれる
昭和51年 日本伝統工芸展初入選(以後入選29回)
平成2年 天皇陛下献上(即位の礼)
平成11年 皇太子殿下献上
平成19年 四日市市産業功労者表彰
平成21年 台湾国立博物館収蔵
平成23年 日本橋三越本店 特選画廊個展
平成23年 四日市市文化功労者表彰
平成25年〜29年 萬古陶磁器工業協同組合理事長
平成28年 G7伊勢志摩サミット ディナー乾杯酒盃制作、三重県文化功労者表彰 大賞受賞
日本工芸会正会員、日本工芸会東海支部顧問、伝統工芸三重研究会会長、伝統工芸士
半泥子廣永窯 土の器、磁器の器。
- 土の色合いに生命力を感じる、『灰釉刷毛目平盃』。化粧土を刷毛を用いて勢いよく器に塗る。刷毛で描いた濃淡・動きがそのまま装飾として現れます。
白磁に映える多幸唐草が品良く、かわいらしい『染付多幸唐草深盃』。多幸唐草は、蔓の外側に簡略化した葉を描いたもの。蛸の足の吸盤を思わせるため、蛸唐草と呼ばれ、それが転じて、縁起の良い、多幸唐草とも呼ばれるようになりました。
まったく個性の違う、しかし同じく廣永窯で焼かれた、二つの器。 陶芸家がひとつひとつ手づくりし、絵を描いています。
醉月陶苑 鶴舞い踊る、伝統と新風の器。
- 紫泥の肌をサンドブラストで削りあげた『萬古鶴文ぐい呑』。金の一羽と、きらめく何羽もの鶴が、華やかに酒器を彩ります。鶴は、古くから用いられる吉祥文様。長寿の象徴であり、つがいになる相手と一生添い遂げることから、夫婦円満にもつながるものです。サンドブラストの表現、その精度を試す中で採用した模様ですが、器に縁起の良さを与え、技法によって生まれたきらめくような輝きが、品よく美しい躍動感を描き出すことから、醉月氏の代表的な模様となりました。
使い込むほどに艶を増す、紫泥の器。鶴のように、使う人と生涯共にあるような、長い愛着を生む作品でありたい、という想いも込めています。
株式会社 百五総合研究所 代表取締役社長 荒木康行(あらき やすゆき)
- 日本酒は「お神酒」とも呼ばれ、古くから神事と深い関わりがあります。三重県の伊勢神宮では毎年10月に行われる神嘗祭をはじめとする重要な祭典で、全国の蔵元からお神酒が供えられ、1年を通した酒造りを祈っています。
また、三重は古代より皇室・朝廷に海産物を貢いできた地域であることから「御食国」ともいわれ、食材の宝庫でもあり、国際的な酒類コンクールである「ブリュッセル国際コンクール(CMB)」に初回の開催地として三重県を選んでいただくポイントとなりました。G7伊勢志摩サミットの開催経験も評価されたところです。
- 「SAKE selection」は世界各国から来日する審査員にとって、日本の食文化に直接触れられる絶好の機会となります。今回の開催を通して国内はもとより海外で日本酒の知識と理解が一層深まり、良質な日本酒が世界の人々に楽しんでもらえる環境づくりが進むことを期待しております。また受賞酒が地方創生のカギとして、今後の開催地を含め各地の観光資源とのコラボレーションやインバウンド誘致を推し進める架け橋となれば幸いに思います。
今回お礼の品として提供させていただく酒器は、いずれも三重を代表する歴史ある窯元によるものです。これらの素晴らしい伝統工芸品をきっかけに、「SAKE selection」の理念や開催地三重県の魅力が多くの人に伝わることを願っています。