はじめに 「ひろしま盆ダンス」と本プロジェクトについて
- 私ども中国新聞社のプロジェクトをご覧いただきありがとうございます。
このプロジェクトは、8月に開催します体験型国際平和イベント「ひろしま盆ダンス」を通して、鎮魂と恒久平和の願いをたくさんの方々と共有し、発信することを目的にスタートしました。
ひろしま盆ダンスは、終戦翌年1946年8月7日、現在の旧広島市民球場跡地で開いた「戦災供養盆踊大会」(中国新聞社主催)の現代版です。
同じ場所で櫓(やぐら)や提灯をしつらえ、盆踊り大会を開きます。当日参加できる人だけでなく、ご自宅や勤め先等で見守る人をはじめ、より多くの方々と復興の原点への思いを共有するため、個人協賛を募り、キャンドル1,000個の結集にチャレンジします。
集まったキャンドルで、折り鶴をイメージしたモニュメントを照らす予定です。みなさんの思いや願いを表現し、盆踊りのひととき、会場に掲出することで、ヒロシマからのメッセージ発信につなげます。
本イベントには、広島在住の外国人やこの時期に広島を訪れる外国人観光客にも参加を呼びかけます。その場の様子や感じたことを、参加された方には「#ひろしま盆ダンス」「 #盆ダンス」「#Hiroshimabondance」「#bondance」とのハッシュタグを付けて、SNSを通じて友人・知人の方と共有してもらい、国内外へ広めていただきたい、と願っています。祈りに包まれる8月のヒロシマの新たな取り組みに、ぜひともご参集ください。 - ※写真はイメージです。
ひろしま盆ダンス イベント概要について
- 1946年8月7日に開かれた「戦災供養盆踊大会」。会場の広島護国神社跡は、現在の旧市民球場跡地に当たります。今回はそのゆかりの場所で、櫓(やぐら)を組むなどして、盆踊り大会を下記要領で催します。
- ■開催日時
2018年8月11日(土・祝)14:00~22:00
※雨天の場合、12日に順延
■会 場
旧広島市民球場跡地(広島市中区基町5-25)
■イベント概要(予定)
《第1部》
14:00~ 「青少年センターによるステージ」
《第2部》
18:30~ 「ひろしま盆ダンス」(呼び込み太鼓)
19:00~ オープニングセレモニー
19:15~ 大盆踊り大会「総踊り」「町内団体盆踊り」(5団体)など
22:00 閉会
※イベントゾーンでは、グルメや折り鶴キャンドルタワー、国際交流など多彩な催しを予定しています。
■主 催
中国新聞社
■後 援
広島県、広島市、広島県教育委員会、広島商工会議所、広島青年会議所、広島日伯協会、広島市文化協会、広島県観光連盟、JICA中国、広島観光コンベンションビューロー、紙屋町・基町にぎわいづくり協議会、広島市中央部商店街振興組合連合会、日本舞踊協会広島支部(順不同)
■協 力
広島市教育委員会、広島市文化財団広島市青少年センター (写真は現在の旧広島市民球場跡地)
「ひろしま盆ダンス」に込めた私たちの思い 広島に新たな集いを創造したい…
ひろしま盆ダンスは体験型国際平和イベントです。8月11日の大会当日、私たちがかなえたいこと。それは、広島の現在・過去・未来を見つめ、市民のみなさんと国内外の人たちが同じ時間に同じ思いを共有し、世代を超えた結びつきを強める「新たな集い」を創造することです。
・戦後の広島を担ってきた人たち、次代を担う人たち、そして国内外から訪れる人たちが一堂に集い、安芸地方の伝統芸能を通して、復興をめぐる記憶を伝えたい。
・1年のうちで国内外から最も多くの人が広島を訪れる8月、広島をより深く理解してもらうため滞在時間・宿泊日数を延ばすきっかけに。インバウンド(訪日外国人観光客)の増加を図り、市民交流を体験してもらうことで、帰国後、それぞれの国に今の広島の姿や市民との思い出を伝えてもらいたい。
・戦前から全国一の「移民県」だった広島。その歴史にあらためてスポットを当て、ゆかりの日系人が多数住むハワイ、米国、ブラジル、ペルー、メキシコへの理解を深め、交流につなげたい。海外に飛躍した安芸門徒が移住先で継承し、今では文化交流の場になっている「Bon Dance(盆踊り)」の里帰りの機会にも。
・広島在住の外国人とも協働することで、多文化共生を体験する場を市民、県民に提供したい。戦災供養盆踊大会(1946年8月7日、広島護国神社跡)
- 広い空き地にやぐらが組まれ、その上で男性でしょうか、和太鼓をたたいています。その周りにはそろいの着物の人たちが、手振りを付けて踊っています。
- 72年前の戦災供養盆踊大会の様子は、当時の中国新聞朝刊でも記事で紹介しています。
開催翌日の1946年8月8日付朝刊では「絢爛・郷土の芸術復活」の見出しがついた記事を掲載しています。当時の護国神社跡に設けられた舞台に、8団体が出演したコンテストだったことが記されています。
翌8月9日付朝刊でも、あらためてまとめ記事を掲載し、各団体の様子を細かに描写し、会場の雰囲気を「トラツクの上からも拍手が声が舞ひ飛ぶ」とつづっています。
そして、大会総評としてこう締めくくっています。
「耳によく目によい久々のこの盆踊大会に観衆は酔ひつくし、平和境の夕を惜しむかのやうであつた。ときは午後8時、なほ去りやらぬ舞台からは一杯の光を積んだ花電車がこれまた平和を乗せて過ぎてゆくのも見られ、多彩と絢爛をあますなく極めつくした盆踊大会は夏宵のしづみゆくとゝもにその幕を閉ぢた。」
原爆投下から1年、まだ復興の緒に就いたばかりのこの時期、盆踊りの出演者も見守った観客も、久しぶりに平和を実感するひとときだったことがうかがえます。
◇
会場の広島護国神社跡は、鳥居だけが残った廃墟でした。戦災供養盆踊大会は、第1回平和復興市民大会の関連行事として開かれました。翌47年は新天地広場に場所を移して行われています。最初の供養戦災盆踊大会と同じ場所(現旧市民球場跡地)での開催は72年ぶりとなります。