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新着情報
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皆様大変お待たせ致しております。
先日森川さんの陶器が焼きあがりました!
早速盆栽を仕立て、順次発送の準備を進めていきたいと思います^^
10月中旬には皆様のお手元に届けられると存じます!
今しばらくお待ちくださいませ^^ -
- 良い雰囲気に出来上がっています^^
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- 2021.08.02:
【御礼】
「広島盆綵 BONSAI プロジェクト」のクラウドファンディングは7月31日(金)夜、無事終了いたしました。
目標を上回るご支援をいただき、応援購入してくださったみなさま、また本プロジェクトの存在を広めてくださったみなさまに、心より感謝申し上げます。
今回、クラウドファンディングでいただいたご支援は、陶器作家さん、塗師さんとコラボした商品開発に充てさせていただきます。リターン(返礼品)のお届けは、陶器が約2カ月、漆器は約4カ月程度かかります。今しばらくお待ちください。
クラウドファンディング公開中、ラジオや経済紙からお声がけいただき、私たちの地元・己斐の魅力をお伝えする機会もいただきました。己斐の盆栽の歴史が江戸時代以来、約400年にわたることをお話しました。今後も、盆栽のある暮らしが身近に感じていただけるよう、プロジェクトの活動は続けて参ります。引き続きの応援をお願いします。
広島盆綵 BONSAI プロジェクト事務局
プロジェクトリーダー 「庭能花園」代表 着能松太郎/スタッフ一同 - 2021.07.21:
【終了まであと10日間】
☆ネクストゴール65万円を目指します。
これまでの感謝にあらためて感謝を申し上げます。
プロジェクトは残り10日間となりました。さらに盆栽の街・己斐の歴史を広めるため、みなさまと一緒に次の目標にチャレンジします!
追加のご支援については、プロジェクトの新商品開発に使い、実店舗での販売を目指します。また講習会の開催等のPR・普及活動に使用させていただきます。
引き続きのご支援、よろしくお願いいたします。 - 2021.07.13:
【目標金額達成のお礼】
みなさまのご支援で、昨日12日(月)夜、目標金額に達しました!
約60名様からご支援、応援をいただきました。心よりお礼申し上げます。
本クラウドファンディングは目標達成で終了するのではなく、引き続きご支援いただけます。
盆栽の街・己斐の歴史をより多くの方に知っていただくため、広島盆綵プロジェクトの活動に弾みを付けていきたいと考えています。受付期間は7月30日(金)23時59分までです。さらなるご支援、ご協力をお願いいたします。 -
はじめに(私たちの思い)
- 当プロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。着能と申します(写真㊧。㊨はM-S社長の坂根)。
今回、植木・盆栽・造園に携わる仲間3人で、「広島盆綵 BONSAI プロジェクト」を立ち上げました。盆栽の「栽」を「綵」としたのは、「綵」には「つなぐ」という意味があるからです。コロナ禍の今、盆栽を通じて人と人をつなげていきたい、との思いを込めています。
私が住む広島市西区己斐地区は、植木・盆栽の街です。JR西広島駅の北側、「こいの宮」として親しまれている旭山神社(己斐西町)の参道から北へ100㍍離れたあたりから現在の己斐保育園(己斐中1丁目)に至る広い範囲に、かつて広島県立農事試験場己斐分場がありました。その試験場を囲むような形で植木畑や盆栽棚が、駅方面まで一面に続いていた、と伝わっています。 -
- 戦中は食糧増産のため、畑の木は引き抜かれていきます。また、原爆投下による爆風の被害も受けました。戦後の復興、高度成長期を経て宅地化が進み、現在の街の様子からは、往時の面影をうかがい知ることはできません。そして今、西広島駅では、南北自由通路の整備が進んでいます。北側には新交通システム「アストラムライン」が延びてくるのが決まり、区画整理や高層ビル建設の話も出ています。己斐の街は、大きく変貌しようとしています。
今回のプロジェクトを機に、あらためて己斐の街、そして広島の盆栽の歴史を見つめ直します。さらにブランド化や新たな商品開発に取り組み、業者同士が競い合いながら一緒に発信していく取り組みにつながれば、と願っています。応援のほど、よろしくお願いします。 -
プロジェクトのストーリー
- ・消えゆく広島の植木・盆栽文化。一方、盆栽(BONSAI)は今や海外でも知られ、愛好家が世界中に広がっている。あらためて広島の盆栽の歴史を掘り起こしたい。
・コロナ禍で増えたおうち時間。落ち着きやくつろぎをもたらす盆栽のある暮らしを提案したい。
・広島発の商品・企画にこだわり、「広島盆綵」としてブランド化を図る。
・盆栽の入門編として、新たな趣味に。地元の職人とつながることで、楽しみ方を知ることができる(メールでの相談特典あり)。 -
資金の使い道とスケジュール
- 陶芸作家さんや漆職人さんとの商品開発に使わせていただきます。PR活動や媒体物の制作にも充てられたらと思います。
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リターンについて
- 地元の陶芸作家、森川容子さん(広島市佐伯区湯来町在住)、漆師(ぬし)の高山尚也さん(仏壇・仏具・寺院用品の株式会社高山清専務)とコラボした盆栽セットをご用意しました。
単品商品は、器と樹木(マツ、モミジ、ユズ)、樹齢(3年、5年、10年)や大きさ(ミニ、中、大)の組み合わせから選んでいただきます。陶器は3種類の樹木を組み合わせたセットもございます。 5,000~100,000円の計21種類をご用意しました。いずれも、簡単な手入れ用のはさみと、1年間のメールでのお問い合わせサービス付きです。
※受注生産になります。陶器は窯での焼成作業、漆器は漆塗りに時間がかかります。お届けはプロジェクト終了後、陶器が約2カ月、漆器は約4カ月程度かかります。ご了承のうえ、応援購入してください。 -
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樹齢で異なる楽しみ
- 今回、マツ、モミジ、ユズとも、樹齢・サイズが異なる商品を用意しています。「ミニ」の樹齢3年ものは、これから自分好みに育てる楽しみがあります。「中」の5年ものは、ある程度幹が育ち、これから枝の変化を付けるのが見どころ。10年ものは、幹、枝とも基本の形が出来上がった状態で、これから自分で手を入れて樹齢を重ね、さらに幹を大きく育てていってください。
ご支援いただいた方には、お手入れ方法を記した説明書を同梱します。また、メールでのお問い合わせサービス付きです。これから始める方、これまでも挑戦したけどうまくいかなかった方、己斐の盆栽職人が丁寧にアドバイスいたします。 -
- ☆陶器×マツ 3年・5年・10年(見本)
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- ☆陶器×モミジ ミニ・中・大(見本)
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- ☆陶器×ユズ ミニ・中・大(見本)
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器も広島産
- 器は2種類。まず陶器は広島市佐伯区湯来町を拠点にご活躍の作家、森川容子さんに制作をお願いしました。器作りだけでなく、器で野草を育てて作品作りもされています。今回初めてコラボさせていただきますが、ご縁を感じる作家さんです。
漆器も広島にこだわりました。伝統的な漆塗の技を受け継ぐ「株式会社高山清」(広島市中区堀川町)の四代目で塗師でもある高山尚也専務にご協力をいただきました。盆栽用の漆器に初めて挑戦していただきました。
陶器、漆器と盆栽の組み合わせをお楽しみください。 - ★漆器×マツ 3年・5年・10年(見本)
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己斐地区に伝わる植木・盆栽の歴史
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浅野氏広島転封 牡丹職人も広島へ
- 己斐の植木・盆栽の歴史は、江戸時代にさかのぼります。祖となる人物が、1619(元和5)年、浅野長晟(ながあきら)氏に従って広島入りした牡丹屋(津ノ国屋)次郎右衛門です。ボタン栽培に通じていた次郎右衛門は、花卉(かき)類の栽培に適した土地を探し、己斐に移り、庭木などの育成にも当たりました。次郎右衛門の技は子や弟子たちに受け継がれました。下村次郎→久保田清作ほか→谷村林太郎・西山乙蔵・浜田頓蔵・西本直一。それぞれの時代に、花卉(かき)や庭木、盆栽などの育成栽培に関わる優れた職人が登場し、伝統を紡いでいきます。
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恵まれた風土
- 己斐谷は南東に面し風を受けにくく、園芸に適した真砂土、水利に恵まれていました。さらに当時は資材運搬・材料持ち込みの海運、陸路の地の利もあり、山林種苗、かんきつ苗など種苗を生業とする者が増えていきました。明治に入り、元藩士が盆栽を仕立てる技術を身に付けるようになり、良い素材と優れた技術者が集まり、盆栽業が盛んになっていきました。大正・昭和初期にかけて、国内でも知られる産地として発展を遂げていきます。苗木を育てる畑、鉢上げされた盆栽棚が、地域の光景として広がっていきました。
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旧広島県立農事試験場が立地
- 産業として発展したのを受け、広島県立農事試験場が1902(明治35)年に設置され、赤枯病などの予防薬剤が開発されるなど、業界の発展に大いに寄与しました。8年後の1910(明治43)年に本場が賀茂郡八本松町(現東広島市)へ移転した後も、己斐分場として1934(昭和9)年まで残りました。
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最盛期 3軒に1軒が関係者
- 最盛期は昭和初年から日中戦争勃発のころ、と言われています。広島市産業部が昭和初期ごろに発行したとみられる「廣島特産 盆栽の管理と育て方」によると、販路は東京・京都・大阪・神戸などの国内の大都市のほか、台湾、朝鮮半島、中国大陸、米国など海外まで広がっていました。己斐駅からは列車で、宇品港から船便で大きな箱詰め、かご詰めで送り出されていたようです。
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- 最盛期の居住人口に占める植木関係の仕事に携わる人はどれぐらいいたのでしょうか。 地元の「己斐の歴史研究会」(佐伯将晴代表)がまとめた冊子「わが町己斐のあゆみ」によると、1933(昭和8)年の己斐地区の人口は、1185戸5870人(出典・広島市統計書)でした。一方、「廣島特産 盆栽の管理と育て方」では、「現在同町に於ける栽培戸数は約四百、植木、盆栽、花卉等處狭き迄に栽培せられ、本邦屈指の園藝地として其の名をうたわれ、四時遊覧客の絶えることは有りません」と記されています。この二つの数字から読み解くと、当時は町内の3軒に1軒が植木・盆栽で生計を立てていたことになり、地区全体が植木・盆栽で繁栄していたことがうかがえます。
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高度成長期に宅地に
- 2009年3月7日付中国新聞夕刊の連載企画「まちかどの記憶」によると、己斐地区を通っていた西国街道には、かつて江戸時代に植えられた街道松がたくさん残っていて、近くに住んでいた人は「家から見えるだけで10本近くあった」と振り返っています。古を知る地元の人は「1960年代ごろまでは植木畑はあちらこちらにあった」と話します。高度成長期を機に、畑は宅地に変わっていったそうです。
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今も残る次郎右衛門の墓
- JR西広島駅から西へ約500m。己斐中1丁目の住宅街の一角に10m四方の小さな墓地があり、その奥側に、植木屋次郎右衛門と名前が刻まれた墓があります。次郎右衛門の歴代の墓とされています。植木職人といっても浅野氏お抱えであり、下村次郎右衛門と名字帯刀を許されていたといいます。
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- 普段はお参りする人がいないのでしょうか、花が手向けられた形跡はありません。墓石の手前には、小さな白い案内板が地面に置かれています。「次郎右衛門は、白神社付近に住んでいたが、やがて適地は己斐にしかないと植木栽培に専念した。その後、次郎右衛門は己斐に定住し、この人が植木屋第一代になった」と記されています。地元の己斐中学校の名前も書いてあり、学習活動の一環で顕彰活動に取り組んだものと思われます。
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広島園芸農業協同組合 山木靖雄組合長(前広島県議会議長) 応援メッセージ
- 「子どものころ、私の自宅の周りでも、売り物となる盆栽を鉢上げしている家が多かったのを思い出します。毎年2月になると、北海道から業者の方が5人ぐらい私の家に寝泊まりして、それぞれ貨物車1両分の植木や盆栽を仕入れていました。今回、地元の若い人たちが、己斐の植木・盆栽の歴史を掘り起こすため、クラウドファンディングで新しい取り組みに挑戦します。盆栽は暮らしに落ち着きや潤いをもたらしてくれるはずです。ぜひこの機会に、己斐の盆栽を応援してください」
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- 《プロフィル》
山木靖雄(やまき・やすお) 1943年生まれ。広島盆栽の祖とされる植木屋次郎右衛門の弟子筋に当たる植木・盆栽職人の7代目。大学卒業後、家業の「鶴樹園緑化」を継ぐとともに、造園・建築設計会社を立ち上げ、経営に当たった。また1987年からは広島県議会議員に転じ、8期32年務めた。第66代議長。父・勝さん(故人)は著名な盆栽師で、爆心地から2.5キロの自宅に置いていた樹齢400年の「被爆盆栽」を、米国建国200年の1976年に友好の証しとして贈ったことでも知られている。 -
陶芸作家・森川容子さん 応援メッセージ
- 「器に野草の種をまいたりして育てた作品も作っています。今回、盆栽・植木の専門家から声をかけていただき、とても喜んでいます。私はお客さんから『いいね!』と言ってもらえるのがうれしくて、自由に作っていますが、盆栽はまた違う世界です。何より着能さんたちが、盆栽のプロとしてマニアックとも言えるほどのこだわりを持っていて、大変興味深いです。私は陶器作りには東広島市西条町の土を使っているし、私自身も地元の物を食べ、飲んでいますので、〝広島産〟とも言えます。盆栽の方々とつながることで、広島発の何か新しいものが見られるのではないでしょうか」
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- 《プロフィル》
森川容子(もりかわ・ようこ) 1993年、比治山大学短期大学部(美術科染色コース)を卒業。1993~96年、同大学陶芸研究生。濱本桂三後山工房(広島市安佐北区安佐町)で作陶活動に入った。独立後、百貨店などでのグループ展に出品。2012年、広島市佐伯区湯来町伏谷で工房「野草庵」を開き、制作と発表を続けている。「地球に優しく生きたい」がモットーで、個展では「暮らすうつわと種まきのうつわ」をテーマに発表してきた。暮らしの中で心地良いと思ってもらえる器と、野草の種や苗を器で育てた作品も作っている。工房は築約50年の民家で、個展で借りていた縁で気に入り移住した。古民家の雰囲気が味わえるカフェスペースも設け、制作した陶器が楽しめ、購入することもできる。 -
株式会社高山清 高山尚也専務 応援メッセージ
- 「漆器も盆栽も日本文化の中で近い部分があり、次の世代へつなげていこうという思いに共感します。ジャンルは異なりますが、頑張ってほしいです。今回、着能さんからの呼び掛けで初の盆栽とのコラボになりますが、漆器の漆の奥深い色合い、つややかさと意外とマッチしています。漆器は下地塗りから含めると20回以上、塗り重ねていきます。独特な風合いをお楽しみください」
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- 《プロフィル》
高山尚也(たかやま・なおや) 1981年生まれ。龍谷短大を卒業後、京都の漆塗りの仕上げをする「蝋色(ろいろ)職人」に弟子入りし、漆師(ぬし)として仏壇・仏具・寺院の修復の技を学んだ。「川辺仏壇」で知られる鹿児島県南九州市の仏壇メーカーでの勤務を経て、2009年から家業の「高山清」に入社し、仏壇などの制作や修復に当たっている。2018年から独学で漆器の制作や作品作りにも取り組み、2019年の日本伝統工芸中国支部展で初入選。2020年度の全国伝統的工芸品公募展で日本商工会議所会頭賞を受賞するなど、各公募展で入賞・入選を果たしている。ギャラリー展などを通じて「廣島漆器」のブランド化に取り組んでいる。
株式会社高山清HP
https://www.takayamakiyoshi.com/